転生自由人のホームページ

ホモ・サピエンスの遺伝子はオフィスでモニターを凝視するようには設計されていない。狩猟や農耕に最適化された家畜だ。前者は移動、後者は定住という違いはあるけど、五感をフル活用しなければ生き残れない。オフィスでモニターを観ているだけでは退化、淘汰されていくのは当然の宿命なのかもしれない
もう、多くの人にとって、お受験、お就職、お出世のコースはいい加減、オワコンではないだろうか。昭和の残骸みたいな文化だと思う。これからは、オフィスで虚業をして稼げる時代は終わり、現場で実業をしなければ稼げない時代になると思う。パソコンの時代からパソ工具の時代になるのかもね。
サラリーマンを辞めたい人は多いけど、じゃあどうするかというと、投資家(自称)を目指し始める。副業解禁なんだから、バンバン副業をやればいいのにやらない。クリックだけの方が楽だからだろう。コツコツNISAに貯め込むのもいいけど、それで一体いつ、サラリーマンを辞められるのだろうか?
今の時代でも自分の領地を自分で開墾するしかないのだ。荘園という歴史も、そこから始まり、地主と小作人という身分に分かれた。小作人として、地主に仕え続ける人生も否定はしないが、自分には無理だった。どんなに小さくても、自分の領地を持ち、その地主として生きた方が幸福ではないだろうか。
自分の領地がない小作人は他人の領地に行き出稼ぎで働く宿命だ。出稼ぎで稼いだ金を少しずつでも自分の領地に転化していかなければ、永遠に出稼ぎ労働は続く。これができるかどうかが最初の試練なんだろう。多くの人は金をもらったら全て使い切ってしまう。さらに悪いのは借金までしてゲームオーバー。
他人の会社で滅私奉公しても、定年という名の解雇で強制終了してゲームオーバーになる。会社の看板が引き剥がされれば、誰も相手をしてくれなくなり、ただの無名な自分が残る。そこで元〇〇でした、という過去に縋るしかない老害オジサンが爆誕するわけだ。なんとも言いようがないほど哀しい存在だ。
現金は資産で資本ではない。寝かせているだけでは死に金で、インフレ時代は価値が減るから、資本に転化させないといけない。ただ、株を買うのはクリックだけで簡単だけど、他人の資本を金で手に入れるのは今のバブル景気では特に割高だ。だから、面倒だけど、自分独自の資本を作るしかないと思う。
文系・理系という区別より、人間理解・自然理解の方が自分は好きだ。どちらも大切だけど、大きな分断をつくってしまったのが、現代教育の罪深さだろう。そういう自分は勉強嫌いの超ド文系だから、偉そうなことは何も言えないのだけど。これからツケを払うことになる予感はうっすらとしている。
学校は労働者養成所だから、法人とか会計とか税金とかはほとんど勉強させない。現代の家庭はほとんどの親は労働者だから、子は何の疑問も持たずに労働者になる。労働力再生産とは、労働者の賃金だけでなく、労働者の再生産の意味でもある。労働者の親は子も労働者にするという、労働力のコピーなのだ。
以前の会計学では純資産を資本と定義していたが、これは経済学の資本とは全く異なる定義だ。経済学の資本は価値を生み続ける仕組みだ。現代の社会は資本主義で資産主義ではない。労働者は資本に嵌め込まれた部品だ。その立場が嫌なら、労働で稼いだ余剰を貯めて、自分の資本をもつことがスタートだ。