サラリーマンは現代の小作人
サラリーマンという人種や仕組みについて日頃からよく考えているけど、ふと昔の「荘園制度」が頭に浮かんだ。サラリーマンとは、現代の「小作人」なのではないだろうかと。
資本主義は荘園制度の時代からすでに萌芽していた
もちろん、中世の農民と現代の会社員がまった同じだと言うのは乱暴だ。現代は(表面的には)身分制度もなければ、会社を辞める自由もある。法律も社会保障もある。それでも、この二つの社会構造の骨格だけを取り出してみると、驚くほど似ていることがわかる。
農業社会において、最大の生産手段は土地と農具だった。自分の土地を持っていなければ、小作人として、誰かの土地を借りて耕すしかない。種をまき、田畑を耕し、作物を育て、収穫する。しかし、その土地そのものは小作人のものではない。そこで生まれた収穫の一部は、年貢などとして土地に対する権利を持つ側へ渡っていく。
ここで重要なのは、誰が汗を流しているかではない。誰が生産手段を持っているかだ。土地を持つ側は、自分自身が毎日田畑を耕さなくても、その土地から継続的に収益を得ることができる。土地を持たない側は、自分の労働力を投入しなければ生活できない。
荘園から会社へ
この構図を現代に置き換えてみると、土地が会社になっただけではないか?
現代の生産手段は、もはや田畑だけではない。工場、店舗、オフィス、機械、コンピューター、ブランド、特許、販売網、顧客基盤。そして、それらを包含する会社という巨大な仕組みそのものだ。サラリーマンの多くは、それらを所有していない。会社が用意した設備を使い、会社が集めた顧客を相手にし、会社の商品を売り、会社の看板を背負って働く。
そして、その対価として給与を受け取る。しかし、会社を辞めたらどうなるか?
会社のパソコンは置いていく。会社の顧客も置いていく。ブランドも置いていく。店舗も工場も販売網も置いていく。長年その会社で働いても、決してそれらが自分のものになるわけではない。何十年同じ田畑を耕しても、その土地が自分のものにはならなかった小作人と非常に似ている。
土地から会社、米から給与
昔は土地。今は会社。
生産手段の形が変わっただけなのではないだろうか。
昔は米。今は給与。
小作人は、他人の土地で作物を生産した。
現代のサラリーマンは、他人が所有する会社の生産基盤を使って商品やサービスを生産する。もちろん、会社員が生み出した売上のうち、給与以外がすべて会社に奪われている、などという単純な話ではない。会社には仕入れも家賃も設備投資も税金も必要だ。事業には失敗するリスクもある。
それでも、自分では生産手段を持たず、他人の生産手段を使って働き、そこで生み出された価値の一部を自分の取り分として受け取るという構造は共通している。昔の農民は収穫物の一部を自分の生活に使った。現代の会社員は給与を受け取る。
米が円に変わった。
田畑が会社に変わった。
小作人の自由
しかし、現代の小作人は荘園を選べるただし、昔とは決定的に違うこともたくさんある。現代のサラリーマンには、会社を選ぶ自由がある。今の会社が嫌なら辞めればいい。A社が嫌ならB社へ行ける。B社が嫌ならC社へ行くこともできる。
求人サイトを開けば、たくさんの「荘園」が並んでいる。昔の小作人と比べれば、これは大きな自由だと思う。しかし、自分自身で生産手段を持っていなければ、結局どこかの会社へ所属し、自分の労働力を提供しなければ収入を得られない。
つまり、荘園を移動する自由は手に入れたが、荘園から離れる自由までは簡単には手に入らない。問題なのは、サラリーマンという働き方そのものではないのだと思う。
小作人は豊かになれるのか?
会社員には大きなメリットがある。自分で何千万円、何億円という設備を用意しなくても、大企業がつくった仕組みを利用して働ける。自分で顧客を探さなくてもいい。事業が多少不調でも、原則として毎月決まった給与が入ってくる。他人の荘園で働くという仕組みには、それなりの合理性がある。
問題なのは、自分にはそれしか選択肢がないと思い込んでしまうことではないだろうか。
自分の生産手段を持つには、どうすればいいのだろうか?
いきなり会社を辞める必要などないと思う。むしろ、他人の荘園で働きながら、自分の小さな生産手段を少しずつ持てばいい。自分が所有し、自分の裁量で動かすことのできるものを少しずつ増やしていく。
会社員として働いて得た給与をすべて消費してしまえば、翌月もまた同じように働かなければならない。しかし、その給与の一部を自分の生産手段へ変えていけば、少しずつ状況は変わり始める。他人の土地を耕して得た収穫の一部で、自分の土地を買い、自分で耕していくようなものだ。
地主でもなければ、人生の前半は、他人の荘園を耕し続けるしかない。ただ、その収穫のすべてを使い切らず、自分の小さな荘園も育てていく。そうすれば、いつか他人の荘園で働く時間を減らせるかもしれない。サラリーマンから自由になるというのは、会社を辞めることそのものではない。
他人の生産手段だけに依存しなくなること。そして、自分自身の生産手段(資本)を持つこと。それが、現代の小作人から少しずつ抜け出していく方法なのではないだろうか。