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日本の正社員はなぜこんなにキツいのか?

日本の正社員はなぜこんなにキツいのだろう。自分が正社員だった頃は、それこそ毎日のようにいつも思っていた。自分は海外で働いた経験がないものの、日本の正社員にはなんだか、独特なものが潜んでいるのではないかと思う。

もちろん、仕事とはそもそも楽なものではない。給料とは、他人がやりたくないことや面倒なことを引き受けた対価でもある。しかし、日本の正社員のキツさは、単純な仕事量や労働時間だけでは説明できないような気がする。

会社に売っているのは、一日8時間の労働力だけではない。朝は会社に間に合うように起き、身支度を整えて、地獄のような通勤電車に乗る。仕事が終わっても疲労は残り、帰宅後は何もする気になれない。日曜日の夕方になれば、まだ出勤してもいないのに月曜日の仕事が頭の中へ侵入してくる。いわゆる「サザエさん症候群」だ。

勤務終了後に会社というアプリを閉じても、バックグラウンドでは動き続け、CPUとメモリを食い続けているようなものだ。強制終了のコマンドも効かない。正社員が会社に提供しているのは、労働時間だけではない。時間、体力、注意力、感情、生活リズム、そして精神的なリソースまで、会社に吸い取られている。

「仕事」ではなく「会社」に雇われる

日本型正社員の大きな特徴は、「メンバーシップ型雇用」というやつで、特定の仕事ではなく、会社そのものに雇われることだとよく言われる。正社員という身分は、「会社という村の村民」のようなものだ。村に守ってもらう代わりに、村の掟には従わなければならない。

入社した時点では、将来どんな仕事をするのか分からない。会社の命令であっさりと部署が変わり、仕事内容が変わり、場合によっては勤務地まで変わる。それでも「正社員なんだから」という事実だけで、多くのことを受け入れることになる。

仕事の境界が曖昧だから、責任の境界も曖昧になる。人が辞めれば残った人が穴を埋め、トラブルが起きれば現場が何とかする。担当外でも「みんな大変なんだから」と手伝うことを求められる。日本の正社員は、法律上は「有限責任」の労働者だが、実質的には「無限責任」に近いところも多いのではないだろうか。

上司や会社の命令に背けば、人事評価や配属に影響するだろう。命令の妥当性を疑っただけでも、「協調性がない」「扱いにくい」「組織に逆らう人」と人格の問題に変換され、モンスター社員の烙印を押されるだけだ。

契約上は自由だとしても、会社という村の中では、その自由を行使することは簡単ではない。村の掟は、法律よりも身近で、会社という村で村八分になったら、生存は不可能だ。

気合と根性という部活動思想

現在の会社は、表面上はずいぶん近代化した。ホワイト社会が進み、新しい言葉や制度が次々と登場している。自分が働いていたデフレ時代のブラック社会とは180度異なり、かなり隔世の感がある。

しかし、その下で動いている思想は、今でも「気合と根性」なのではないかと思う。苦しくても頑張れ。途中で逃げるな。若いうちは苦労しろ。みんなが頑張っているのだから、お前も頑張れ。という無形の思想は根深く刻まれている。

この思想は、会社に入って突然インストールされるわけではない。学校の部活動ですでに予行演習が始まっている。顧問に従い、先輩を立て、理不尽にも耐え、チームのために自分を抑える。途中で辞めれば「根性がない」と言われる。競技の上達や人格の陶冶につながる修行なら意味もあるだろう。しかし、何のために耐えているのかも分からず、ただ耐えること自体が目的になれば、それは修行ではなく服従訓練に近い。

日本の正社員は「包括契約」

海外を一括りにはできないが、米国型のジョブ型雇用と比べると、日本型正社員の特殊性が見えやすい。ジョブ型では、基本的に特定のポジションや職務に対して人が雇われる。「この仕事を、この条件で引き受ける」という契約に近い。一方で、日本型正社員は「会社の必要に応じて、必要なことをやります」という包括契約に近い。

簡単に言えば、米国型は「仕事に雇われる」。日本型は「会社に雇われる」。
もちろん、米国のようなジョブ型の方が良いという単純な話ではない。解雇されやすく、競争も激しい。ジョブ型は「雇用がキツい」のに対して、メンバーシップ型は「雇われている間がキツい」と言えるのかもしれない。

かつての日本型雇用には、それなりの合理性があった。会社が社員を簡単にはクビにせず、年功序列で賃金を上げ、退職金まで用意する。その代わり、社員は転勤や異動を受け入れ、会社に忠誠を尽くす。

会社が一生守る代わりに、社員は人生を会社に預ける。
それが昔の交換条件だった。

しかし、現在はその前提が崩れている。会社はもはや社員の一生を保証しない。それでも社員には、昔と同じような責任感、忠誠心、献身を求める。

一日8時間の労働力を売っているつもりが、いつの間にか時間も、精神も、生活も、人生の主導権まで会社に差し出している。日本の正社員がキツいのは、働くことそのものよりも、「どこまでが仕事なのか」という境界線があまりにも曖昧だからなのかもしれない。

境界線がなければ、責任には終わりがない。
見た目は有限責任。実質は無限責任。

それが、日本の正社員のキツさの正体なのではないだろうか。

updated: 2026-07-12 10:29:27