人生後半は後進を応援する役割
最近は人生の後半に入ったと実感することが多い。自分自身の肉体の衰え(最近は特に老眼)は痛感するし、周りにも大病を患う人、亡くなってしまった人がちらほらと出るようになってしまった。
人生の前半は、どうしても自分が主人公だ。学校を出て、仕事を覚え、自分の力で食べていく力をつけ、家庭を守る。成人になれば、どんなに大変でも、悪戦苦闘して、自分の居場所を確保しなければ生きていけない。余裕などなく、他人を応援している場合ではない時期でもある。
しかし、人生の後半に入ると、少しずつ役割が変わってくるのかもしれない。自分が前面に出て成果を取り続けることよりも、後から来る人が少し進みやすくなるように、道を整えること。自分が遠回りした場所に、小さな道標を置くこと。自分の経験を独占せず、次の誰かに渡していくこと。そんなことが大切なような気がしている。
もちろん、これは年を取ったら引っ込めという乱暴な話ではない。人生後半だからこそ、新しいことを始めてもいいし、自分の仕事や楽しみを持ち続けていい。ただ、自分だけが主人公であり続けようとするよりも、誰かが前に進むための助走路をつくる側へ、少しずつ重心を移していく方が自然な気がする。
でも、経験があるだけで、人を育てられるわけではない。名プレイヤーが、必ずしも名監督になれるわけではないように、プレイヤーと指導者はまったく別の仕事なのだろう。プレイヤーは、自分の能力を最大限に発揮する。自分が結果を出すことが役割だ。一方で、指導者は、相手が何につまずき、何を怖がり、どのくらいの速度で進めるのかを見ながら、その人自身の力を引き出さなければならない。
必要なのは、正解をたくさん知っていることよりも、相手の不安や理解度を想像できる共感力なのだと思う。教えるとは、自分の成功体験を再現させることではない。相手がその人なりのやり方で前に進めるよう、経験を翻訳して渡すことだ。失敗を知らないエリートより、挫折経験を持つ人の方が共感力も高く、指導者としての可能性も大きいと思う。
そして、もう一つ大切なのは、後進の成長を素直に喜べることだろう。自分が教えた相手が、自分をあっさりと追い越していく。そのときに、寂しさや嫉妬ではなく、心から自分のことのように喜べるか。
若い頃は、どうしても比較の世界にいる。誰が上か、誰が評価されるか、自分の席が奪われないか。そこから完全に自由になるのは難しい。でも、人生後半には、少し違う幸福があるのかもしれない。自分が勝つことだけではなく、自分が関わった誰かが育ち、成長することを素直に喜べる。それは自己犠牲ではない。幸福の対象が、自分一人から少し広がるということだ。
だから、人生後半の仕事は、何か新しいものを自分だけでつくることよりも、これまで蓄えた経験値を、誰かに渡すことなのかもしれない。人生前半で半ば強制的に積んだ経験が、人生後半では、誰かの不安を減らし、成長を支える仕事になる。
決して、ただ主役を降りるのではない。自分の人生を生きながら、次の人が走り出すための地面をならし、その人が成長することを心から喜べる。そんな役割が、人生後半にはあるのかもしれない。最近はぼんやりとそんなことを考えながら、新しい事業にできないか悩んでいる。事業は決して綺麗事ではないけど、Not money first. Thanks first.の精神で。