page182: 不自由の苦しさ、自由の苦しさ

不自由と自由という極端な二項対立はそもそもセンスとしても良くないのかもしれないけど、あえてこの軸を考えてみる。

僕にとって、いちばんの不自由は自分の人生が他人に支配されることだ。
自らを「社畜」と卑下した長い会社員生活は、まさに不自由極まりない屈辱の人生だった。最初の数年はまだ新鮮さがあって、社畜という実感はなかったと思うが、ループ処理のような生活があと数十年続くと思った瞬間に、毎日が灰色になった。

仕事の内容はもちろん、仕事をする時間、仕事を休む日、住む場所、人間関係のすべてを会社の管理下におかれて、自分の人生のベースである「時間と場所と人間関係」が会社に支配されている絶望的な閉塞感を感じた。

もちろん、その不自由な環境にも適応して、何十年と継続できる人たちもたくさんいるが、僕には信じられない。いろいろと飽きっぽい僕の性格の問題も大きいのだろう。
会社員を辞めてから数年経ったが、もうあの生活には二度と戻れない。

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しかし、自由にもパラドックスがある。
選択肢を多く与えられると、自分で選択して、自分で責任を持つことになる。
「ジャムの実験」は有名だが、人間は多すぎる選択肢を前にすると決断疲れを起こし、選ぶこと自体を放棄してしまう傾向もあるようだ。

今の時代は、新卒から定年まで会社に預けていた人生プランが困難になり、自分の職業人生を自分で考えなければならなくなった。親世代のライフモデルがまったく参考にならず、結果として、迷子の大人たちが多数いるように思うが、これなどはまさに自由のパラドックスだろう。

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「転生自由人」などと、子供じみたペンネームを使っているが、実際はたいして自由な身でもない。ただ、屈辱の社畜生活から解放されただけだ。
職業(身分)、お金を稼ぐ方法が変わっただけで、仕事はしているし、FIREのような生活をしているわけでもない。

そもそも、完全な自由人など社会で存在できるわけもないし、そんなものを目指そうとも思わない。本気で自由という麻薬に溺れると、こんな運命となってしまう。↓
イントゥ・ザ・ワイルド

僕にとっての自由は、自分の人生が他人に支配されず、自分で生きているという実感があれば、それだけで十分だ。

created: 2026-10-04 11:25:15